人生は、一度きりのLIVE
- naganolabtcue
- 2024年3月26日
- 読了時間: 4分
卒業シーズンですね。まだ桜は咲いておりませんが、生憎の天気が続いているさなかの卒業式ということで、これもまた一つの趣との出会いであった、卒業生の皆さんはそのように感じて、新年度に備えてほしいと思います。雨降って地かたまる、ということです。
ちなみに、私も大学・大学院のどちらの卒業式も、雨でした。良き思い出です。
今日のテーマは、生きること≒LIVE(ライブ)
生きるということは、ライブと同じです。
2度と、おなじライブはできません。その時、その場所、その空間で、一度きりしかできない。人生もまた、同じです。
生きた時間、過ぎた時間を取り戻すことはできません、すなわち、取り返しがつかないものです。
よって、取り返しがつかないものだからこそ、後悔するわけです。しかしながら、大小あれど、その後悔があなたを後押しすることがありますから、常にネガティブなもの、というわけではありません。
同じく後悔するのであれば、やってしくじった後悔のほうがはるかにいいです。失敗もそうです。失敗を繰り返さないと成功しませんので、どんどん失敗してください。チャレンジした人にだけ、道は開かれます。
さて、常々、私は学生諸君に対して、大人として接しています。つまり、大人としての行動を求めているわけです。よって、人によっては厳しく感じるものだと認識しています。そして、それを拒絶し悪く言う人たちも、もちろんいます。人の数だけ正しさがありますから、そんなものだと思っています。自分のスタンスとポリシーに従って生きていれば、特に気にならないものです。
何が言いたいかと言うと、人の目を過度に気にする必要はありません、という事。そして、誰かに求められた人生を送るのではなくて、自分で決めた自分の人生を生きていきましょう、という事です。
自分の生き方を自分で否定しない限り、それは可能です。ただし、そこには責任が伴うということを忘れてはいけません。この国に住まう私たちにとっての最大の幸運は、自分で自分の人生を選ぶことができること、そして生き方を自分で意思決定できることです。さわさりながらも、この事実は、私たちにとってとても厳しい現実でもあり、他の誰かのせいにはできないことでもあります。
大人として生きるとは、この現実を理解し、受け入れることではないでしょうか。
ひとつ、問いかけます。あなたは、これらのフレーズについて、どのように感じますか?
「自分はこういう人間だから、こう接してほしい」
「自分はこういう感じ方、受け取り方をする人間だから」
「普通はこう思う、普通はこうする、普通ならこうだ」
「皆がそう思っている、皆が言っている、皆もそうしている」
「いつも私だけこんな思いをする、いつもあの人ばかり、、、だ」
大人として自分の意見を言えている、と思いますか?
大人の生き方としてどう感じますか?
常識なのか、一般論なのか、自分という人間の表現なのか、甘えか、妄想か、それとも無責任な言葉を並べているだけなのか。
さて、あなたはどう感じるでしょうか?
社会は、理不尽なことだらけです。理不尽すぎて、言葉が出ない場面、筆舌に尽くしがたい状況に多々出くわすことになるでしょう。それを乗り越えてくださいとは言いません。
ただ、受け流す技術を身につけてください。当たり前のように、日々理不尽な事が起こる、といつも冷静にして備えておけば、受け流すことはできるようになります。ただし、経験が必要です、理不尽な出来事に相対して、苦しい思いをしたり、涙をながしたり、そんな経験が、未来のあなたを助けます。
また、自分の事を想って「叱ってくれる人」を大事にしてください。
誰かに叱ってもらえるうちは、誰かのちからで成長へ導いてもらえます(反省と改善の繰り返しがなければ成長はしませんが)。若いうちに、たくさん叱られてください。
段々と、年齢が上がるにつれて、叱ってくれたりする人はいなくなります。一方的に否定されるケースの方がむしろ増える、と思っておいてください。
一方的に否定されて、断罪されて、追い詰めれらて、どうにもならなくなったら、その時また私を思い出して、私に助けを求めてください。
そこからまた前を向いて生きるために必要となる知恵を、私からあなたにお渡ししたいと思います。
最後に、この春に卒業するみなさん、大人として、よき時間を過ごしていってください。
皆さんのこれからの人生に、幸多いことを祈っています。
卒業おめでとうございます。

麻布台ヒルズから
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